【樹の中の空】

プロローグ。

 


 叔父が死んだ…。
 その知らせの電話を受けた、母の言葉を聞いた時も、実感がわかなかった。
 自宅でひっそりと亡くなっていたらしい。
 祖母の住む実家と離れて生活していた彼は、その死を誰にも看取られる事がなかった。家賃の滞納が続いて、不審に思った管理人により、鍵を開けられ、冷たくなっている彼の姿が発見されたらしい。
 そんな情報を、こっそり教えてもらった話を耳にした時も、いや、かえってそういった伝え方をされたからなのだろうか。
 叔父とは中学生になってからは交流も少なくなっていたせいで、かのん自身も彼の死を、人ごとのように何も感じない自分が、不思議なくらいだった。
 通家は実家で行われるので、二人して出かける。
 慌しくひとまずは整えられた、外殻のみの席には叔父の姿はまだない。
 葬儀を取り仕切る、何人かの業者の姿はあった。
 すぐさま裏方に回された母とかのんは、意外にも明るい祖母や叔母達を見て、さらに叔父の死が遠のいてゆく
 まるでドラマのセットを見学に来た感じまで、してくるのだった。
 それくらい他の人たちにも叔父の死が、実感がわかなかったのかもしれない。
「あの子、心臓が悪かったかしら…心不全だなんて・・。」
「だいたい理由がはっきりしない場合、医者は心不全って書くらしいわよ。
死因なんて、あてにならないんじゃないかしら。」
 首をかしげながらつぶやく祖母に、母がもっともらしく説明している。その言い方はさらにドラマを見て『ああだ。こうだ。』と言って言っている様だった。
「叔父さんは、いつ帰ってくるの?」
「夕方には帰ってくるとは聞いているけれど・・。」
 かのんは聞きながら、叔父と二人っきりでいる時には『叔父さん』と呼ぶのはNGで、『修(しゅう)さん』と呼ぶように言われている事も、思い出す。
 家族の間では、ろくでもない小説を書き、家の財産を食いつぶす変人で通っていた。女姉妹に囲まれて、自分の世話を姉妹達にかまわれて育ってきたのもあるかもしれない。
 どこか無頓着な永遠の少年のような雰囲気を漂わせている彼は、母達にとっても大切な黒一点なのだ。
 叔父の変人と言われる理由の一つに、SF用語でいう、『パラレルワールド』と呼ばれる世界を、本気に信じていた点にあるかもしれない。
それをテーマにした小説は一部の人達には受け入れられ、マニアックなファンがいた。
 ただ、家族から変人扱いされていた彼とは、なぜだかかのんとは気が合った。小さな頃から彼の住む文化住宅に入り浸り、彼の話をきくのが大好きだった…。
 かのんが小学校の高学年の時に、一家が引っ越ししたために、彼とは疎遠になってしまっていたのだけれど・・・。
 かのんがぼんやり物思いにふけっているうちにも、通夜の準備が整えられてゆく。
 夕方には予定通りに一本の電話がある。すでに、叔父の体は、親と姉妹達の待つこの家に、向かっているらしい。
 その知らせを聞いた祖母や母達は、その時初めて叔父の“死”に対面しなければいけない事を実感したようだ。
 見る間に慌てだして右往左往する姿を、かのんだけはまだ、夢の中のような、非現実感から、抜けきれることができなかった。
 言われるままに雑巾を手に持ち、あちこち拭いて回らされていた時、玄関先で“ウワアー!”と、声にならないうめき声がするのにハッとなる。
 ドタバタと、家の中にいた叔母達が足早に玄関に向かう。
 かのんも母と向かった。狭い玄関は叔母達で埋め尽くされていた。
「しゅう!」
 と、うめき声を上げる祖母の声が響く。
 叔父の体は、すでに簡素な“棺おけ”と呼ばれる代物に包まれていた。
 祖母や姉妹たちを押しのけ、棺桶はしずしずと玄関を通り、所定の位置に据え置かれる。
「お顔を拝見なされますか?」
 葬儀の業者に、静かに問いかけられるまま、母達はうなずき、小さな観音扉の窓が開かれると、まぎれもなく叔父の顔があった。
 静かな、まるで眠っているかのような叔父の顔。
 40歳はすぎているはずだった。
 痩せたおとがいに、シャープな少年そのものの顎や、伏せた長いまつげが蛍光灯の光に影を作る。
『かのん。』
 と、落ち着いたやさしい声で、今にも問いかけてきそうだった。
「修うぅ−!」
 祖母と叔母達が、さらに1オクターブ高い叫び声を上げる。
 葬儀の人は、一拍置いて
「お気持ちお察しします。」
とコメントをし、彼女らの感情がひと段落するまで、一歩後ろにさがるのだった。
 かのんだけは、イヤイヤをするように顔を横に何度も振る。そして思ったのだ。
この非現実感は実は彼の死を認めたくなかったために、起こっているからなのだと・・・。
 かのんはフラフラと、母や叔母たちから離れていった。
 二階に上がり、胸の奥から湧き上がってくる、重い感情をどうにかしようと一人、嗚咽を漏らすのだった。



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